プロフィール/みやうちコウについて

ご挨拶

はじめまして、コウちゃんと申します。
このブログへ来て頂きありがとうございます。

突然ですが、あなたのお時間を5分ほど頂けませんでしょうか??

人と関わることが苦手で、小説・映画・ドラマ・ゲームなどの物語に浸ることが何よりも好きな僕が、
積極的に人と関わる「カウンセラー・コンサルタント」の道に進んだまでの道のりをお伝えしています。

ある種の人間嫌いであった僕であるので、「カウンセラー」に相談するなんて、

 

恥ずかしい・自分の弱みを握られる・変なアドバイスなんていらない

 

って思っていたくらいです。

そんな僕ですが、今では、気軽に人に相談しますし、相談されることを仕事にしています。

 

なので、

僕のように、

 

「人に相談するって勇気がいるよね・・・」

「お金払って相談するなんて、自分がダメなやつな気がしちゃう・・・」

「自分の弱音を吐くなんて、負けた気がしてしまう・・・」

「周りの人は自分に害をなす敵だから、攻撃されないように鎧を身につけるんだ!」

 

って思っている人には、

とても参考になるんじゃないかなーと思います。

 

そんな感じで、

周りの人とは、

距離をとって、

近寄られないようにして、

繊細な自分を守るために、

 

 

正解を求めて、、、、失敗しないように、、、、他人から指を刺されないよう、、、

 

にしていた僕ですが、

今では、

 

「正解なんてものはない。正解は自分で決めるもの」

「失敗なんてものはない。好奇心による実験だ」

「自分を尊重出来る人は、他人を笑ったりしない」

 

ってことが僕の信念となっていて、僕の行動の後押しとなっています。

 

 

そして、僕の特異な部分として、

「人の物語が知りたい」

という部分があります。

 

なので、

僕からのはじめのメッセージとしては、

 

 

「あなたの素敵な物語を教えて頂きたい」

 

 

という言葉を贈ります。

 

 

そしてそしてそして、

今の僕が、

 

なぜ、そんな風に思えたのか?

どうして、思いが変わっていったのか?

どうやって、人生が変わっていったのか?

その結果、今どうなっているのか?

 

そのあたりを、お伝えできたらなーと思います。

最後までお読みいただけたら、ちょっとしたプレゼントもご用意しております。

ぜひ、最後までお付き合いくださいね。

「恥ずかしい子ね!!」

僕の中での最古の記憶は、幼稚園の卒園式です。


そこで僕は「自分が楽しくすると、恥ずかしい人間になる」という前提を作り出します。

それにより、根は楽観的であるにも関わらず、周りの意見を気にして、

恥ずかしい行動になっていないか?

誰かに笑われないか?

お母さんに恥ずかしい! って思われないか?

ということを根底に前提を作って、日々生活をしておりました。

なので、正しいことや正解を求め、失敗しなように、目立たないようにと過ごしておりました。

 

僕は、みどり色の園児服と黄色い園児バッグを持っている幼稚園児でした。

卒園式では、テンションが上がりに上がってしまって、

当時仲の良かった子と、ふざけあって、楽しみあって、

どんな卒園式だったのかも覚えていないくらい、

僕にとっては楽しい卒園式でした。

 

でも、

母にとっては、

 

「あんなにふざけているなんて、お母さん恥ずかしい!!」

 

って、思っていたようで、

めちゃくちゃ怒られました。

まあ、式典でふざけてしまっていたので、僕が悪いといえば悪いのですが、

それは今の大人の視点だからいえることであって、

当時の幼稚園児の、めちゃくちゃかわいい坊やからしたら、

 

「うわ、僕ってお母さんに恥をかかせた悪い子なんだ!!」

 

って、思って、やってはいけないこととして、脳内の記憶に叩き込まれました。

それから、

僕は

 

「外ではお母さんに恥をかかせないように行動する」

 

という概念が生まれたせいか、

外ではいい子を演じるようになり、家の中でははちゃけるという、

いわゆる「内弁慶、外地蔵」的な子として育ちました。

(単純に内向的だったという説もある)

なので、

自分のことを発信したり、

自分の声を届けたり、

自分ビジネスを展開していくことが、

 

「めちゃくちゃ怖いこと」

 

でした。

でも、

そういった当時の経験があったからこそ、

他人にどうみられるのかとか、

他人は何を大事にして生きているのかとか、

他人の悩みってどんなことなんだろうかとか、

 

「周りの人が何を思って、何を感じているのかを考える」

 

という思考パターンがあって、

今の仕事に活かせているのではないかと考えています。

 

深夜の終着駅で補導される

子供というものは、親にかまってもらうためならば、悪いことをしてでも、親の気を引こうとします。
(ヤンキーとか典型的な、かまってちゃんですよね)

特に、
高校生のある日は、

3つ上のお姉ちゃんはなんやかんやで構ってもらえてて、

8つ年の離れた弟は少年野球を頑張っていて、常に応援をされていて、

 

なんで、俺はかまってもらえんのかい!

 

と、
3人兄弟の真ん中ではありがちな、問題児となっておりました。

「できるけど、やらない。」

「やりたくないことはできない。」

「やりたいことは親の声は無視してやる。」

 

そんな年中反抗期になっておりました。

なので、高校生でしたが、

 

「宴会なら、酒を飲むのが当然だろう!」って、

 

お酒の味を覚えてしまっていたので、
宴会をして、深夜の電車にのって、終着駅で眠りこけ、補導されるという始末でした。

当然、交番のお巡りさんにはめっちゃ怒られて、

親に連絡されることになり、深夜の終着駅まで車で迎えに来てもらって、

 

車の中ではダンマリのまま、気まずい空気感のまま自宅へと帰りま

した。

親と本音で話すことができず、

わざと悪いことをしたり、わざとかまってもらうようなことをしましたが、

それでも、「親にはわかってもらえていない」という、

モヤモヤとしたものがどんどんと溜まっていきました。

 

仮面浪人、浪人ジャー参上。

そして、そんな年中反抗期なまま、
大学入試となりました。

大学入試は大変なものでした。

学校の定期テストは、得意の一夜漬けでなんとかなっていたのですが、

長期間の勉強は苦手すぎるので、全然成績が上がらず、なかなか行きたいところへとはいけず、第一志望も第二志望も落ちてしまって、

年中反抗期だったことを少し反省したのか、
第三志望の親がよろこびそうなところに入ることにしました。

けれど、

 

「その大学では結婚する時に親に反対される」

 

という当時付き合っていた彼女の一言により、僕は世間というものが、偏見にまみれているのだということを理解しました。
(彼女とは結婚をする気でいました)

僕が入ろうとしていた大学は、いわゆる宗教関係の大学で、
親はその宗教に関係していました。

僕自身は、その宗教に入っているつもりはなくて、みんなで世の中を良くしていければいいねーくらいな集団くらいにしか思っていなかったので、

 

「 宗教大学に入るやつは、そういうやつだ」

 

ということが言われるってことが全然理解できませんでした。

僕にとっては、当たり前だったことが否定されるような気がしたし、何も言わずに入信させていた父親に憤りを覚えました。

なので、正直なところ、人を否定する人自体を否定したいという気持ちになり、
宗教を理由に行動をしている人も、宗教によって人を差別している人も、どっちも嫌いになりました。
(大学入試は世界史だったので、宗教を理由に戦争してるの多すぎねーか?って思ってました)

そして、大学は翌年に別のところに受かり、そちらへ進むことになりました。

就職するも4日で辞める

大学へは無事に進むことができたとはいえ、
自分がどうしても入りたかったのかといわれると、

そんなことはなかったので、

 

完全に燃え尽き症候群が発症して、

 

大学をさぼり続けることになり、
卒業するのに、4年間のところを1年多く5年で卒業しました。

仮面浪人の1年も合わせると、合計6年を大学生活で過ごした計算になります。
(本当に勉強が好きな子だったようです)

 

そして、最後の4年生、5年生の期間は、今まで落としまくっていた単位を取得しないといけなかったため、

マジでクソガリ勉小僧になっていたので、授業を聞く時は常に前の方の座席を陣取っていて、

おしゃべりして授業を邪魔するやつに対しては

 

「うるさいなら出てけ。授業の邪魔するな」

 

ってクラスの風紀委員のような出立ちで、脅しをかけていました。
(僕自身、後がないので超必死w)

そんな5年生を過ごしていたので、一般企業への就活をしている暇がないので、
公務員試験を受けることにしました。
(めちゃくちゃ安易な考えw)

 

そして、試験に合格をし、4月から晴れて公務員となったのですが、
これも大学に入学するときと同じなので、燃え尽き症候群を発症して、

 

「4日でやめることになりました」(どーん!)

 

もう一度言います。

 

「4日で逃げるように辞めることになりました」(どーん!)

(逃げるは恥だが役に立つ!!!)

 

 

・・・・・・。

 

 

でまあ、当時付き合っていた彼女からも見捨てられる形となり、僕は全てを失ってしまいました。
(結婚するんじゃなかったんかい)

2か月の引きこもり生活

そんなことをしでかしたので、自信喪失してしまい、約2か月間完全に引きこもりの生活をしていました。

一日中ゲームをして、酒を飲み、カップ麺を好きなだけ食べるという生活でした。

自分が

 

何時に起きて、

 

何時にごはんを食べて、

 

何時に寝ているのか?

 

そんなことは一切わからなくなっていました。

仕事なんてしたくない。

 

親となんて関わりたくない。

 

彼女となんて関わりたくない。

 

社会なんてクソくらえ。

 

そう思っていました。。。。

 

それでも、

ゲームをしている間は、自分自身のことは考える必要がなかったので、

ゲームをしている間だけは、すべてがどうでもよくなって、気分は晴れていきました。
(この時、シュタインズゲームにハマっていましたね)

そして、僕は飽きっぽい性格でもあるので、唐突にこの引きこもり生活が飽きてきました。

 

流石に、このままではまずい。

 

そういう思いから、バイト先を探しました。

とはいえ、新しいことをするのと、失敗するのが怖いので、今までやったことあることにしようと思い、レンタルビデオ屋のアルバイトをすることにしました。

フリーター家を出る

アルバイトは、就活をするための繋ぎとして考えてはいたものの、
そもそもの自信をなくしているので、就活なんてしたって、決まるわけはないという思いが強く、
なかなか書類の応募もできない状態でした。

そして、アルバイトは夕方から深夜にかけての担当になることが多かったため、
(18時から深夜2時まで。片付け含めると深夜3時近くまで)

 

「あんたがいると家族の生活リズムが狂う」

 

と親に言われました。

深夜に帰ってきて、ゲームをしていたりするのが、家族にとっては気に障ったのか、衝突することが増えていき、僕は一人暮らしをすることにしました。

とはいえ、たいしてお金もないので、安いアパートで、近所に借りるという、ただの家出ですかとう感じでした。

そして、一人暮らしという、「自立」した状態になったので、徐々に自身を取り戻していき、
別れた彼女と、なんとなく連絡をとったり、とらなかったり、家に呼んだり呼ばなかったりをするようになりました。

就職してもまた別れる

そして、

アルバイト先で「社員にならないか?」という話もあったのですが、
そこまで思い入れもなかったし、店長の口約束みたいなものだったので、

一向に話は進まなかったので、「復讐」ような形で、就職活動をすることにしました。
(就職が決まった時は、どや顔で店長に辞めることを伝えました)

で、その時、

ツタヤビジネスのDVDで、「自信をつける方法」とか、「やる気を出す方法」とか、「モチベーションの保ち方」とか、「人間関係がしんどいと思ったら読む本」(心屋)などを見ていました。

で、しっかりと就活をしだすと、
うまくいかないこともありましたが、割とすぐに決まることになりました。

建設関係の会社だったので、インフラならくいっぱぐれることはないだろうと選びました。

そして、なんとなく、よりが戻りそうだった彼女に、

 

「就職できたから仲直りしよう」(就職できたとドヤ顔)

 

と言わんばかりでいうと、

 

「ごめん、それは出来ない」(いや、なに言ってんのこいつ)

 

みたいなことになり、また連絡を絶つことになりました。

 

僕の中では、これで万々歳!

俺様、よくやった!

もう、これで就活しなくていい!

 

ってな感じで喜んでいたのですが、

僕の中での戦略の図式は、

ガラガラと音を立てて崩れ去りました・・・。

 

 

とまあ、

別れたり戻ったりをしていた彼女とは、このあと丸一年一切連絡をしなくなったのですが、

 

その一年後、

 

友人の結婚式を通じて、また会うことになりました。
(本当に切れない縁です。宿命ですね)

 

そして、その時僕は、

友人の結婚式を見ていたため、感化されたのか(単純)、

 

「たとえ今後、彼女に裏切られるようなことがあったとしても、

俺は彼女を信じ続ける! 

だから、もうなんでもいいから、また一緒になりたい!! だって、好きだしなー」

 

みたいなことを、結婚式の帰り道で彼女と話をしました。

そして、彼女の方はというと、

 

「うん」

 

と、快くOKしてくれました。
(いやー、よかったよかった!w 誰目線?w)

 

で、

後から聞いた話ですが、

僕が就職するとかしないとか言っている時、彼女のおじいさんの具合が悪かったりしたみたいで、入院したり退院したり、色々と忙しくて僕の相手をする余裕がなかったみたいでした。

お互いが自分のことに忙しくなっている時っていうのは、相手のことを考えることができなくなるもんなんだなーって、よーくわかったエピソードでした。

つぶれかけの会社「辞めたい。でも辞めれない」

その後、

彼女とはうまくいき、元通りな感じになりました。

浅草に遊びに行ったり、水族館デートをしたり、牧場に行ってアイスクリームを食べたり。

で、そろそろ結婚だよなーって流れになって、向こうのお父さんと話す機会に恵まれました。

僕の中では、卒業大学は変えていたので、障害はクリアしてるから問題ないぜ!wって思っていましたが、

今度の障害は「今の職場」になりました。
(どんだけ会社嫌いなんだよw)

実は、彼女のお父さんが元銀行員で、僕が働いている会社と取引をしていたようで、
内部事情に詳しくて、

 

「つぶれかけの会社だろ」

 

と一言。

じゃあ、違う会社に行けばいいですか? と、半ば半ギレ状態になっておりました。ええ。

なら、会社を辞めるか!

でも、やめるということは、

前みたいな4日で辞めたことになり、

根性なしだと思われるんじゃないか?

廃人のようにゲーム三昧になるんじゃないか?

と心配や不安な思いが悶々としていたため、なかなかやめられない状態でした。

(会社自体が合っていなかったのか、当時は不安を抑える薬を常用しておりました)

心理カウンセラー「心屋」に出会う

そんな中、本屋に立ち寄ると、数年前に見たことがあったカウンセラーの心屋仁之助さんの本で、

 

「仕事がツライと思ったら読む本」に出会い、

 

中身をざざっと読んで、

内容はなるほどなーってくらいで見ていたのですが、

 

「オープンカウンセリング」という、

 

無料のカウンセリング体験会があることを知りました。

 

そう、

ここではじめて僕は、

 

「カウンセリング」というものを体験することになるのです。

 

そして、運良く、近場で開催することを知ったので、申し込みをすることにしました。

 

申し込みをして、当日になると、

カウンセラーの人が1人いて、アシスタントの受付の人が1人。

あとは申し込みをしたクライアントさんが僕を含めて5名ほどいました。

(老若男女様々でしたね)

 

そして、会が始まって、

「相談したい方はいますかー?」と、カウンセラーの方が言ったので、

僕は迷わず、

 

「はい!」と手を挙げました。

 

そして、

 

「言えれば、癒える」

 

を体験しました。

 

まず、最初僕は、

僕「いやーなんだか、会社が大変だし、彼女のお父さんも嫌だと言っているので、もう嫌なんですよねーーー」

と前置きとか、もろもろ伝えていくと、

 

カウンセラーの方が優しく、

 

カウンセラー「そうなんだね。じゃあ、会社辞めたいって言える?」

 

と言いました。

 

僕はといえば、辞めたいから相談に来てるのに、何言ってんだろうw ってくらいに思っていたのですが、

 

僕「僕は、

 

会社をやm・・・(言えない・・・)。

 

あれ? 

 

おかしいな、

 

会社をやめt・・・。(ボロボロと涙がこぼれ落ちる)」

 

という感じになり、周りに人がいることを忘れたかのように、

ボロボロと泣き出してしまいました。

 

そう、僕は頭では辞めたいから辞めるぞーって思っていたけど、

感情の奥底では、辞めたら彼女に嫌われるとか、また別れてしまうことが怖いとか、社会から捨てられるみたいな思いがあったので、

 

言うことが出来ない! ってことを体験しました。

 

「人は自分にとって重要なことは、泣いてしまったり笑いが出たりする」

 

ということを心のことを学んで理解したのですが、

ここでは「泣く」ということを経験して、とても深く刻まれることになりました。

 

その後、僕は心屋流の初級セミナーに参加して、

「ああ、もう会社辞めよー」

って思えて、会社を辞めることにしました。

退職。そして妊娠が発覚

心屋の「言えれば癒える」を体験し、初級セミナーに参加し、

もう、嫌な会社なんてやめてやると決意し、数日後には退職届をだしました。

 

それにより、彼女には、ブーブーと文句を言われることにはなりましたが、

「別の会社をちゃんと探す」

ということを約束すると、頑張って探してねーって、

意外にも軽い反応でした。

 

そして、

ゆるゆると就活をしていたところに、

僕にとって、人生を変える出来事が起こるのです。

 

それが、

 

「お父さんになる」

 

ということですw

 

会社を辞めてプー太郎になっているところで、

彼女から、

 

「生理がこない。妊娠したかもしれない」

 

と言われて、おーまじか! って思いましたが、

同時に、とても嬉しく思いました。

僕自身の中で、親とうまくいかない以上、

 

「自分の家庭を作ってうまくいかせるしかない」

 

という思いが強かったので、やってやる!(なにを)

って気持ちになって、就活を必死に頑張ることになりました。

ご機嫌取り「命」の会社に就職

歴史は繰り返すのか、僕は会社選びが下手くそなようで、
またもや会社選びを失敗します。

以前は、建築関係の営業だったので、もう営業はやらない!

経理とか、人事とか、労務とか、裏方の方がいい! って思い事務系を探しました。

 

そして、次に選んだ会社は、医療機器のメーカーでした。
そこでバックオフィスというか、事務というか、総務課として配属されました。

 

ただ、勤めるようになると、空気がおかしいんです。

 

面接の時は気がつかなかったですが、

みんなピリピリしているというか、ある特定の人のご機嫌とりをしていたのです。

 

そして、実は家族経営だったりして(表向きはわからないようにしてる)、

ご機嫌取りをしない人に対しては冷遇する体制をとっていました。

 

僕自身は、愛社精神もないし、稼げればいいかなー?ってくらいでいたので、

ご機嫌とりなんてしたくもないし、年中反抗期体質なもので、親にすら反抗してるのに、会社の上役のご機嫌なんてとれるわけもなく、

 

「あなた、この会社に相応しくないかもね?」

 

と暗に辞めるように迫られることになりました。(完全に労基法違反ですが)

そして、僕を含めて5人くらいが半年の間で辞めることになったので、

そーいうゲームを楽しんでる会社なんやなーって感じになって、

子供が産まれるタイミングで、さっさと見切りをつけて辞めることにしました。

(別のところに内定済でね。流石に子供産まれるので。あと、この間に婚姻届は出しましたw お父さんにもサインしてもらえました)

未経験ストレスマックスで15キロ太る

子供が産まれてから、別の職場での勤務は1ヶ月後になっていたため、

僕は産まれたばかりの子供との時間がたっぷりととれて、かなーり幸せな生活を送りました。

小さな体の子供をお風呂に入れてあげたり、抱っこしてあげたり、家の中でお散歩したりして、楽しく過ごしました。

そして、新しい職場での勤務になるのですが、

業界が未経験だったため、

 

「何をするのが正解なのか?」

「何をしたらいいのか?」

「誰の意見を採用したらいいのか?」

 

かが全然わからないところだったので、ストレスマックスになってしまい、当直業務があったため、深夜のおやつが止まらず、ぶくぶくと太ってしまいました。

(当直っていうのは、通常業務後に、勤務先に泊まり、夜何か対応することがある時だけ起きて仕事する感じです)

育児休暇で人生を考える

仕事自体に不満はなかったのですが、上役のことが嫌いすぎる僕なので、このままじゃあ昇進することも出来ないし、むしろしたくないし、

とはいえ、

 

「このままの人生でいいのか?」

 

ということに漠然と不安を覚えるようになりました。

そして、第二子が産まれるタイミングで、

 

「男性でも育児休業がとれるらしい」

 

ということを知ったので、3ヶ月間の育児休業を取得することにしました。

この3ヶ月間、

僕は育児をたくさんしていたのか?

家事をたくさんしていたのか?

嫁さんが楽になるようにしていたのか?

というと、

している部分も多いにありましたが、それ以外の時間は、ゲームと釣りばっかりしておりました。ええ。

やっぱり僕には、ゲームをする時間がとても大事みたいで、ゲームに没頭していると色々な悩みとか不安とかが割とどうでもよくなったりするみたいなんですよね。

同じように、釣りをすることも楽しいものでした。

何をするわけでもなく(いや釣りはしてる)、ただぼーっと海を眺めている。

釣れることもあれば、釣れないこともある。(下手なので、ほぼ釣れない)

でも、大きな海を眺めていると、自分の悩みなんて小さいものだよなーー。

海は広いな、大きいなー。

 

 

僕の悩みはちっぽけだなーー。

 

 

なんて、朝の4時に家を出たり、6時間も釣りをしたりしていると、

健康的なリズムになったのか、少しずつ調子が戻っていきました。

(この育児休業期間を経て、不安を抑える薬を飲むのを辞めました。あれを飲むと、思考するのが阻害されるんですよねw 考えないようにさせてるので、当たり前ですが)

(その後、自分に集中するようになって、ダイエットはじめ、トータルで15キロのダイエットに成功しました

ブロガーになる

そして、

この辺りくらいから、僕は自分自身と向き合うようになっていきます。

 

今の僕から見たら、まだまだ序の口ではありますが、

当時の僕は、必死で自分自身と向き合おうとしていたし、

自分の人生をどうすればいいのか、模索をしていました。

 

「人生をどうしていけばいいのか?」

 

ということで、僕が選んだ道が、

「ブロガー」になる。

というものでした。

(副業で検索すると上位にあがるやつです。単純ですw)

他の選択肢としては、「ユーチューバー」だったので、

同じようなものでしたが、とにかく真剣にやろうとしていました。

色々と試してみたけれど、全然やり方がよくわからないし、どうすれば正解になるのかもわからないし、何より「自分自身」のことはどうでもよくて、

いかに「商品」をわかりやすく伝えるのかが大事で、Googleの検索上位にくるかどうかを考える「Webマーケッター」なんだということがわかると、

 

「いや、別にこれ僕がやらなくてもいいよね? 全然楽しくないし!」

 

と、いう感じになったので、「ブロガー」としては諦めることになりました。

スピリチュアルに出会う

僕は当直の時、暇だったのでYoutubeをよく見ていました。

面白い動画とか、都市伝説とかが好きだったので、

「水溜りボンド」とか「ナオキマンショー」がお気に入りで、

毎日の楽しみの一つでした。

そんな中で、ふと僕のメイン画面に上がってきた、

 

「斎藤ひとり」さんの動画を見ることになりました。

 

なんだか怪しいな?

そういえば、前の会社の上司が進めていたよな?

絶対に見ちゃダメなやつじゃないか?

って思ったのですが、

好奇心に負けてしまい、見ることになりました。

すると、そこでは、

 

「人間は神様から魂が別れた一つなんだ。だから、全員繋がっている」

 

っていう話をしていて、何を馬鹿なと思って見ていたのですが、

ずーーーと見ていると、何かが腑に落ちた感覚がありました。

それもそのはずで、

それが、僕自身が、宗教というか、スピリチュアルなのことを受け入れるという作業だったからなんです。

前の項目でもあげていましたが、うちの父は宗教に入っていました。

 

父がいたので、何かに祈りを捧げるとか、祝詞を唱えるとか、みんなで交流して人生を良くしていこうみたいな会があるのは、当たり前でした。

でも、世間ではというか、日本人は何故か特定の宗教に対して懐疑的で、排除する傾向にあるので、(八百万の神的な考えがあるので、一神教が苦手なのはわかった)宗教やってますとか、あまり言えないことが多いですよね。

なので、僕は家の宗教が嫌で嫌で仕方のないことだったので、大学を卒業する時期に脱退を決意して、

地区の長みたいな人の家に乗り込み、俺は脱藩するぜよと坂本龍馬のように、脱退宣言をしてきました。

それにより、宗教は脱退出来ましたが、同時にスピリチュアルなことを否定し始めたので、僕の人生はなかなか上手くいかないことになりました。(後からわかったことですが)

 

そして、結婚して、子供が出来て、神社にお宮参りなどをして、神性なものに触れるようになりはじめてから、僕の人生が好転し始めました。

そして、

 

そういったスピリチュアルなものもありだよね

 

って思えると、更に、カウンセラーとかコンサルタントでセッションをしているときに、自分の考えなしで、相手のことを心の底から幸せを願うということが、自然と出来る体質になってきました。

なので、これらのことは全て、僕自身が望んでいたことかもしれないなぁと思います。

伝説のコンサルタント「椎原崇」に出会う

僕はブロガーになることを断念しました。

でも、

自分で何かをやりたい!

自分でビジネスをやりたい!

自分でもっと何かしたい!

という思いが強かったので、諦めずに色々と探していると、

心理カウンセラーの「心屋仁之助」さんが、

 

「ビジネスのことを学びたいならこの人から学ぶといい」

 

っていうリンクがブログに貼られていて、どんな人なのかな??

って思ってブログを覗いてみると、

 

「中卒で、元パチプロで、経営者でコンサルタント」

という経歴で、

こんな人現実にいるの???

って、めちゃくちゃ疑心暗鬼になりながらも、ブログを読み漁ると、

あれよあれよ、と流れるままに、メルマガの登録をして、

オンラインサロンに入って、ビジネスのこと、セッションのこと、コンサルのことを一気に学びました。

 

ただ、学んだのはいいのですが、僕にはまだ足りないことがありました。

そう、それが

 

「自分で体験していない」

 

ということでした。

くろちゃんに出会う

僕は、自分自身で経験をしてみたことでないと、なかなか納得しないというタチなので、ただセッションのやり方がわかっただけでは、

 

「誰かに提供するなんてできない」

「この程度のスキルではお金はもらえない」

「こんな不安定な自分では申し訳ない」

 

という気持ちがとても強かったので、

同じ志を持っている、くろちゃんのセッションを受けることを決意しました。

 

僕と同じように、「セッションを受けることに抵抗がある」という状態から、自身で学んで、セッションを提供している方なので、

この人になら、お願いをしたい! って思ったので、

半年のビジネスコンサルを受けることにしました。

 

セッション時間は、2時間×6回=12時間にも及ぶものでした。

 

なので、僕自身が、かなり根本からガラリと変わることになりました。

全部を書くと、長編小説くらいになりそうなので止めておきますが、書ける範囲で書いていきます。

 

最初は、自分自身の内面と深く向き合うことになります。

特に大きなものは、幼少期の思い出で、

探っていくと「さみしがりや」な自分がいました。

 

それは、「自分が楽しくすると恥ずかしい人間になる前提」にもつながる部分なのですが、その「さみしがりや」な僕と向き合って、

 

過去の嫌だった出来事を洗い出して、そっくりそのまま両親にぶつけることをしてみました。(セッションしたから親に何を言っていいわけではありませんが)

すると、僕の中でのわだかまりみたいなものがなくなっていき、

 

もっと、自分自身に向き合いたい!

 

っていう気持ちになっていきました。

なので、今現在の僕自身は、親に対して素直にありがとうと思えているので、

 

「年中反抗期」

 

ではなくなってしまいましたw

自分のビジョンに向かって、自分で生きる

さてさて、「年中反抗期」ではなくなってしまった僕ですが、

そのおかげで達成したことがあります。

 

それが、

 

「自分のビジョンを見つけた」

 

ということです。

 

ビジョンっていうと、なんのこっちゃ? って感じだと思いますが、

会社でいうところの「会社理念」みたいなもので、

うちの会社はこういうことをしようと思ってます。

だから、こういう事業をしています。みたいなものです。

 

それが、個人レベルにも、そういう

 

「人生でやろうとしていること」

 

とか、「使命」とか「役割」とか、

そんなものがあるんです。

ここで僕のビジョンを発表しておきますと、
(不要かもしれませんがw)

 

『未来へハートを繋いでゆく地球船』

 

です。

 

ビジョンは誰しも持っているけれど、個人個人で全然別のものになるのですが、

僕のビジョンはこれでした。

(僕のセッションでは、このビジョンを見つけることが出来ます)

 

どういうことなのか簡単なイメージでお伝えすると、

僕自身は個人個人の感情とか思いとかが超重要だと思っているんですね。

 

で、個人の思いを無視したり、なかったことにすることが大嫌いなので、そういったところから「年中反抗期」になって、自分のことをわかってくれない親なんて逆に無視してやるわ!って思っていたんです。

 

そして、僕の中にはスピリチュアルなことも大事だよねって思っているので、月とか星とかも好きで、地球という星ですら、一つの船でしかない。って認識なので、同じ船で暮らしているのだから、可能な限り皆んな仲良く出来たらいいよね? っていうことです。

そして、これらのことを、

 

 

自分自身で、自分の役割で、自分の役目を果たしていく。

 

前のめりにもならず、後ろ向きにもならず、そのまま向かっていく。

 

 

例えるならカンテラの光のようなもので、

(カンテラがわからないと思うので説明すると、ロウソクを懐中電灯状態にしたやつで、ロウソク自体は真っ直ぐに立っているのに、光は前へと進んでいる。どんなにカンテラを振ってもロウソクの向きは真っ直ぐである。っていうことでしたw)

多少ブレることがあっても、

軸は縦一直線であって、

真っ直ぐ光を照らしていく。

 

ということを、半年のセッションを通じて学ぶことが出来ました。

本当にくろちゃんには感謝です。ありがとうございます。

何をしてもいい

そうやって僕は自分自身の「ビジョン」を見つけることが出来ました。

あと、自分の「使命」「才覚」「役割」「信念」「生き方」「あり方」などなどが、

全て自分自身で納得して、理解して、もう自分ってこういう人間なんだからーって、

 

「降参する」レベルにまで腑に落ちました。

 

なので、この状態にまでなれた僕自身なら、

 

セッションを提供することが出来るし、

誰かの役に立つことが出来るし、

対価をもらうことにも抵抗がなくなったし、

 

なんなら、僕自身に触れるだけでも価値を提供出来るかもしれないとまで思えるようになりました。

セッションというものは、それだけ、人間の可能性をあげてくれるものだと僕は確信しております。

 

僕は小さい頃から、お母さんに恥をかかせないように生きてきた。

でもそれは、その時のお母さんが「恥ずかしいなー」って思った感想だった。

だから、それをいつまでも覚えている必要はないし、

それによって自分自身に制限をかけている必要はないし、

いつまでもくすぶっていることはないんだ。

 

そして、

僕は誰かに言われたことをしないといけないとも思っていた。

でも、そうではなくて、

自分は自分のしたいことを、自分でやっていっていいんだ。

つまるところ、

 

「自分らしく」生きていけばいい

 

そんな決意をしました。

だから、僕はこれからは、今までの僕から見たら、

 

失敗ばかりしてるし、

恥ずかしいことばかりしてるし、

出来ないことばかりしてるかもしれない。

 

でも、やりたいって思った。だから、やった。

っていう、ある意味では子供みたいなことかもしれないけれど、

そーいうことが大事なんじゃないないのかなーって思い、今は生きています。

 

ちょっと話はそれますが、僕が大好きな心理カウンセラーの心屋仁之助さんが、音楽活動に専念するということで、

名前を「JIN佐伯仁志」に改名したようで、

心屋時代のジャケットをオークションに出していたので、競り落としましたw

JINさんからこんなメッセージをもらいました。

『やったことないこと ふさわしくないこと

ぜんぶ ぜんぶ 好奇心で 実験だ

失敗しよーね^^』

なんだか、JINさんからも応援されているようで、とても嬉しいです。

 

ここまで読んでくださいまして、本当にありがとうございます!!!

お時間を5分いただきたいと言いましたが、多分、もっと時間ももらっている気がしますw

この文章が少しでもお役に立てたらなーって思います。

僕でさえ、考え方が変わっていったので、あなたにも出来るはずです。

ていうか、必ず出来ます。

あなたが信じていなかったとしても、僕が代わりに信じます。

 

「あなたなら出来ます」

 

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