今、感じていることをそのまま書く。
信じられないことが起こっている。
宗教とかスピリチュアルなことは、現実的な観点から言えば、バカらしいしあほっぽい。
そう思っていた。
なぜかといえば、僕の父系は宗教の家だったから、子供の頃から「何を唱えているんだ?」
と感じていたからだ。
日本で宗教というと、かなり変な目で見られる。
変なことしているんでしょ
変なことでお金稼いでいるんでしょ
変な集まりにいるのは変な人なんでしょ
それもそのはずで、
人間は知らないものや、未知なるものが怖い。
変わることが怖い。新しいことが怖い。
外国の人に対してもそうだ。
肌の色が違うから
食べているものが違うから
話している言語が違うから
同じ「人間」であるはずなのに、
見た目に違いがあるからという理由で違うものだとして排除する。
そして、
僕は外からの視線に恐怖を感じた。
このままでは、
馬鹿にされる
罵倒される
仲間はずれにされる
親が宗教をやっているということ。
外の人には言ってはいけない
外の人に気づかれてはいけない
外の人と仲良くなってはいけない
なんとなく。不思議とそう思うようになって、
周りの人の意見をよく聞くようになった。
いわゆるHSPの少年が誕生した瞬間だった。
そうして生きてきたけれど、
自分がよく気づいてしまっていただけであり、
周りの意見で動いていただけであり、
自分のことを自分でないがしろにしていたのだと気づいてしまったら、
そろそろ自分のことを大事にしてあげてもいいんじゃない?
って声が聞こえるようになってきた。
PASAITのぱっさんしかり、
橋詰事務所の大ちゃんしかり、
ワンネスのゆりえさんしかり、
自分を大事にしよう。
自分の声を聞こう。
自分を愛そう。
それだけでよかったんだ。
それでよかったんだ。
それこそが生きていることなんだ。
それに気づいてしまったら、
宗教がだめだという気持ちは、
周りの目を気にしていただけなんだから、もう気にしなくていいじゃない。
宗教があってもいいじゃない
僕の父親のことを敵対視するのは自分の考えではなくて、
周りの目を気にしていただけだったのだ。
だから、僕はお父さんを受け入れよう。
自分の存在を受け入れよう。
自分を愛そう。
自分に還ろう。
宗教を否定し続けて僕が、
スターシードとか、スピリチュアルに目覚めてもいいんだ。
そう気づいてしまったことが、本当に信じられない。
世界は変わってしまったのだ。